あきれたぼういず・川田義雄
楽しき南洋

¥3,850 (税込)

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説明

<あきれたぼういず・川田義雄未復刻曲収録アルバム>
 

瀬川昌久

昭和12年(1937年)の吉本ショウに川田義雄をリーダーとする「あきれたぼういず」4人組が発足して、大好評を博し、昭和14年に分裂して、川田義雄はミルクブラザースを結成、残り3人がメンバーを補強して「あきれたぼういず」の名を継承して活動を続け、何れも戦前芸能界の尖端的なコミックバンドとして、傑出した存在だった。戦後は、川田義雄(晴久)は「ダイナブラザース」を率い、「あきれたぼういず」は3人組で活動を再開したが両者共数年で解散した。しかし「あきれたぼういず」が同時代及び後生の芸能界に与えた影響は、測り知れぬ程大きく、戦後のクレイジー・キャッツからドリフターズを経て今日まで脈々と続くコミック・バンドの系譜は、全て川田義雄を筆頭とする「あきれたぼういず」の斬新な演芸センスとその技術に端を発しているといっても過言ではない。

幸いなことに、「あきれたぼういず」のショウ作品は、戦前期としては珍しい位多くのレコードに残されており、川田義雄に至っては、彼独自のソロによる語りと唄が相当数録音されている。その全貌・詳細は別紙ディスコグラフィーの如くであり、「あきれたぼういず」名儀がSPレコード26枚、川田義雄グループが7枚、川田のソロが15枚の多きに亘る。

勿論、川田義雄並びにあきれたぼういずの業績は従来から高く評価され、既にLPとCDに覆刻された作品も別表記載の通り多い。しかし仔細に分析すると、まだ全く覆刻されていない作品も相当数ある。よって今回未覆刻作品全てを収集して2枚のCDに収録することにした。この中には、川田義雄が歌手たちの歌謡大会の司会役をつとめたものや、川田の実弟岡村龍雄のコミック・ソングなど従来看過されてきた稀少盤もあり、ほぼ 、川田とあきれたぼういずに限っては完全収録出来たのではないか、と思うが、尚欠落した吹込みがあれば御教示頂ければ幸いである。このアルバムが、川田とあきれたぼういずの先駆的な音楽センスに対する感心を再度喚起することを切に願う。

DISC1 あきれたぼういず/樂しき南洋

1 スポーツ會議(上・下)(テイチクT3069 A/B) 昭和15年9月

2 当世かわったネ節(テイチクT3105 A) 昭和15年末

3 スパイ御用だ(テイチクT3105 B) 昭和15年末

4 村の防護団 (テイチクT3109 B) 昭和16年1月

5 浪曲温泉(ふろや)(上・下) (テイチクT3124 A/B)昭和16年2月

6 浮世床屋(上・下)(テイチクT3147 A/B)昭和16年4月

7 樂しき南洋(上・下)(テイチクT3180 A/B)昭和16年8月

8 清水一家(上・下)(テイチクT-3439 A/B) 昭和18年

9 海底物語(上・下)(テイチク T-3447) 昭和18年

10 新版ダイナ狂想曲(コロムビアA-207)昭和22年2月

DISC2川田義雄/浮草劇場

1 歌い初め (上・下)(ビクター J-54688)昭和15年1月

2 浮草劇場 (ビクターJ-54694 A) 昭和15年3月

3 男ざかり (ビクターJ-54694 B) 昭和15年3月

4 かはった活辯 (ビクターJ-54724 B) 昭和15年3月

5 袖珍ラヂオ版 (ビクターA-4007 A) 昭和15年4月

6 踊る電話口( ビクターA-4007 B) 昭和15年4月

7 一心太助  (ビクターA-4084 B) 昭和15年6月

8 赤城山ブルース (ビクターA-4099 B)  昭和15年8月

9 かはつたフォスター集(ビクターA 4243 A) 昭和16年8月

10 愉しき週表(ビクターA-4243 B)昭和16年10月

11 笑和大学(ビクターA-4255 A) 昭和16年12月

12 声楽指南 (ビクターA-4255 B) 昭和16年12月

13 歌謡漫談 かはつたオペラ集(上・下)(ビクターA-4267 A/B)昭和17年1月

14 我が輩は天下のヤブである

15 大東亜戦争双六

16 冗談カクテル(テイチク 821)昭和25年2月

17 新々八木節(荒船山)(ビクターPR-1368)

楽しき南洋 〜あきれたぼういずと川田義雄〜
 

<解説> 佐藤利明(娯楽映画研究)

1937(昭和12)年8月、吉本ショウで活躍していた川田義雄をリーダーに、坊屋三郎、益田喜頓、(坊屋の実弟)芝利英の四人組“あきれたぼういず”が結成された。グループ名の由来は、同年5月、浅草花月劇場での第58回「ブリュウ・ジャケット」第十二景のタイトルから。ジャズと浪曲、コーラス、漫画映画の声帯模写を盛り込んで「ボーイズ芸」の元祖となった。音盤でも「四人の突撃兵」「スクラム組んで」「商売往来」などを次々とリリース、東宝映画『ロッパの大久保彦左衛門』(1939年・東宝・斎藤寅次郎)に出演するなど、その人気は全国区となる。

ところが、1939(昭和14)年、新興キネマ演芸部があきれたぼういずの引き抜きをはかり、坊屋・益田・芝の三人は新興に移籍、川田は吉本興業に残り、グループは事実上の解散。オリジナル・メンバーの活動期間は、およそ10ヶ月という短いものとなった。

Disc.1「あきれたぼういず/樂しき南洋」は、坊屋・益田・芝の三人に、ロッパ一座の“ハリキリ・ボーイズ”で活躍していた加川久(山茶花究)が加わった(第二次)あきれたぼういずの、これまで未LP/CD化だった貴重な音源を覆刻。

Disc.2「川田義雄・岡村龍雄/浮草劇場」では、ソロとなった川田のレコーディング、ミルク・ブラザースに参加した実弟の岡村龍雄のソロ音源、そして戦後のダイナブラザース時代の、やはり未CD化音源を中心に収録。これで「ぼういず伝説」(ビクター VICL-61714)、「あきれたぼういずアンソロジー」(テイチク TECH-25064)と併せて、あきれたぼういず、川田義雄(後に晴久)が残した音源の全容を気軽に楽しむことができるようになった。

 

<推薦コメント>

1994年、『会津ムラムラ』というイベントでご一緒させて頂いた。坊屋三郎さんのステージは、気品と自信に満ちていて、とても楽しい思い出です。
今回このCDを聴いて、改めて、あきれたぼういず、そして川田義雄さんの芸達者に感嘆しました。特に山茶花究さんの歌のうまさにびっくり、役者としての記憶しか僕にはなかったからです。それとやはり、凄いと思ったのは、ギター伴奏の多様さとセンスの妙です。これは一体どなたなのでしょう?
ナンジャラホワーズのミス妙子さんの声を聴いて、真っ先に思い浮かんだのは、大阪の女漫談家、吾妻ひな子さんです。一瞬本人かと思ったのですが、年代的にズレがあります。とにかく味があって、おまけに僕の大好きなバンジョーもとても上手で、こんな時代にこんな人がいたことが知れて、もう大感動です。

チチ松村

奥が深くてワイルドで、洒脱で時にハチャメチャな、そういう音楽。21世紀に現役でこんな人たちはいない。いたらおめにかかりたいもんだ。昔の人はバリバリにかっこよかったんですね。おもしろくて勉強にもなります。ジャンルはもちろん無用の日本です。

湯浅学

なにはともあれ、あきれたぼういず。ボーイズ芸の至宝&コミックバンドの源泉。未CD化音源がこんなにあったとは。そして、関西人としては、負けずとも劣らぬ喜びが、宮川左近ショウ。自らの芸をパロディー化&デフォルメした浪曲ショーの醍醐味に打ち震える。さらに、世紀の隠し玉、謎だらけのナンジャラホワーズ。リード歌手、ミス妙子のチャーミングな語り口、阿呆陀羅経も内包したジャイヴ。これぞ大発見!“笑う昭和遺産”は笑いと音楽のキャパシティーを確実に広げてくれるはず。大口あけて、ココロも開いて、お楽しみください。

安田謙一(ロック漫筆)

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華宙舎