土取利行
添田唖蝉坊・知道を演歌する

¥4,715 (税込)

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説明

邦楽番外地 戦争の世紀を乗り越え、大震災を乗り越えてきた

近代流行歌の祖、添田唖蝉坊・知道

反骨・風刺・諧謔に溢れた演歌がここに蘇る!

本CD出版の発端は土取利行の伴侶、故・桃山晴衣が添田知道氏から長期にわたって〈演歌〉を習っていたことにある。その節まわしや歌詞等を細部にわたって教えてもらっていた桃山が記録を残したまま夭折したことから、その意志を受け継いだ土取が彼女の三味線を手に「邦楽番外地」と題した「添田唖蝉坊・知道演歌」再生の旅を開始。三味線を主にエスラジやダルマなど、アジアの楽器を用いた唄が明治大正演歌に新風を吹き込む。

[ディスク 1]

1 拳骨節

2 チャクライ節

3 ストライキ節

4 ラッパ節

5 社会党ラッパ節

6 あきらめろ節

7 ああわからない

8 ああ金の世

9 ゼーゼー節

10 思い草

11 むらさき節

12 奈良丸くづし

13 マックロ節

14 カマヤセヌ節

15 現代節

[ディスク 2]

1 青島節

2 ノンキ節

3 ブラブラ節

4 ああ踏切番

5 東京節

6 つばめ節

7 虱の唄

8 復興節

9 ストトン節

10 月は無情

11 恋を知る頃

12 生活戦線異常あり

土取利行/唄・楽器演奏(三味線・エスラジ・バンスリ・ダマル・タブラ他)

今、なぜ演歌なのか   土取利行

演歌は明治20年頃、自由民権の思想を広めるために壮士が街角に立って唱いだした演説の歌に始まる。壮士達は読売という、歌をうたいその歌詞を売ってメッセージを広める手をとって国家に物申した。

しかし、こうした壮士たちの売り物の反骨も逆に国威発揚のために政府に利用されてしまうという結果を招くにいたる。これを察知したのが社会主義者、堺利彦の影響を受けた唖蝉坊。彼はそこで従来の壮士たちの慷慨悲憤をぶちまける怒鳴り演歌ではなく、市井の民衆の心に沁み入る風刺、諧謔に満ちた歌を多く作り出し、為政者への強力な抗議メッセージとした。そこで民衆の心を唄で掴むために、日本人に馴染み深い「三味線調」の節や調べを取り入れた替歌を作曲術の一つとする。「明治から大正への流行調を大別すれば、三味線調時代、朗詠時代、唱歌調時代、壮士節時代、浪花節節影響時代、小唄時代。そしてそれ等の波動を表面に見せながら、然もその背後に流るる情調は依然伝来の三味線調である。ここに国民性を見逃すことの出来ぬ理由がある」と唖蝉坊は流行歌の変遷について述べている。

実際に文明開化で日本は西洋近代の音楽教育を採りいれたものの、地方の庶民は角付け、旅芸人、乞児、雑芸者の芸を楽しみ、唄者たちはまさに「三味線調」の唄で喉を自慢していた。唖蝉坊演歌は都の唄だけでなくこうした各地の俚謡や俗謡なども取り入れ、生きた唄のアンソロジーともなっていく。また鋭い批判に満ちた歌詞を挿入するも、唄は民衆の心に沁み入るものでなければならないとする唖蝉坊演歌が、こうして演歌の本流へとなっていったのである。桃山晴衣は三味線の弾き唄い、語りの世界を追求してきた音楽家で、語り物・浄瑠璃を極めるために四世・宮薗千寿師の内弟子となり奥義を修得したにもかかわらず、さらに民衆の流行歌に目を向け、中世の流行歌「梁塵秘抄」と添田唖蝉坊・知道の演歌に着目していった。唖蝉坊の子息、添田知道師との出会いで、桃山は実際に生きた演歌の歴史を知道師から学ぶ。知道師は書生節とは異なる桃山の演歌が気に入り、彼女を荒畑寒村氏の会に誘って演歌を披露させたりもした。桃山が唖蝉坊演歌に魅かれたのは、彼が繊細な美声であったと聴かされたことにもあり、大衆歌はガサツで声を張り上げ、やたらとコブシをまわすというイメージを払拭するかのように彼女は自らの唄い方を築き上げていった。私が「演歌」を唄うのは、桃山と死の際に交わした暗黙の約束につきる。桃山晴衣の世界は誰も真似できない経験に裏打ちされている。演歌一つ取り上げてみても、実際に知道師から徹底的に学んできた。彼女が知道師から演歌を学ぶ録音テープに耳を傾け、添田唖蝉坊・知道師の書籍を読むに連れ、自ずと彼女の三味線を手に唄いだしていた。唖蝉坊が演歌を始めたのは文明開化への転換期で、西洋音楽を教育化する方針も打ち出され、元来の「三味線調」の音楽が疎外されだしもした。しかし民衆の感性は即座に変わらない。演歌には日本人の奥深い節調が潜んでいる。添田唖蝉坊は無伴奏歌手だったが、その後バイオリン演歌の時代が続き、歌謡曲にいたってピアノやギターなどの和声楽器が支配的になり唄がコードと機械リズム従属してしまった今、添田唖蝉坊・知道の演歌から学ぶ事は多い。

レーベル

立光学舎