EMIGRANT
未生音

¥3,520 (税込)

在庫あり

商品コード: NON-17 カテゴリー: , タグ: ,

説明

振り向いた
物語の始まり
エミグラント 夢の隊列

未生の音群
「遠い異国の港町」へと
消えて行く

マサルの音楽はどこか曖昧でゆらりと浮かんでくるが、驚くほど潔く広大だ。他人の主題を邪魔せぬよう、混乱の雑踏を擦り抜ける素浪人のように身をかわしながらマサルは生きてきた。マサルは大人の孤独を包み隠すことのできる達人である。
(三上寛)

日本ロック史上燦然と輝く伝説のグループ、“はちみつぱい”のヴォーカリスト、渡辺勝。
停滞するジャズシーンを震撼させた超弩級ユニット“フェダイン”のフロント、川下直広。
リズムの限界を乗り越えてグルーヴし続けるトライアングル“サイツ”の遊撃手、船戸博史。
さらに、梅津和時等、強者たちが絶賛する新進ドラマー、城間和広。
そして、山下洋輔トリオ退団後さらに変化し深化し続ける、偉大なヴェイグラント、國仲勝男。
ジャンルを越境して集結した五人の男たちによる〈まぼろしのセッション〉。
フィルムと音楽がオキナワタイムのなかで相乗しながら形象する夢の二夜。
オキナワタイムが存在する。未だ時間が細分化していないオキナワだからこそ可能な表現。
時間の堆積。深い夜。そうだ、それこそがぼくたちが何より求めていたものだった。ぼくたちが住み都市では“夜”はついに誰のものでもなかった。夜の都市は午のひかりと見まごうサーチライトに照らされて、飛ぶことも出来ぬ甲虫の如く地べたに蹲るのみ。けして不夜城などと誇るまい。ぼくたちは夜というインスピレーションのみなもとを喪ってから随分久しい。
工作者たちは南島の夜の帳、黒々とした暗闇に一片のフィルムを映し出した。『とどかずの町で』、北国の港町を舞台に男と女の関係性を描いた作品である。二時間余り、南島特有の弛んだ空気が北の風に晒され締まってくる。やがて静かに映画は終わり、音楽が始まる。渡辺勝は北の漁師のように白い息を吐きながら歌い出す。オキナワタイムのなかで映画と音楽が相互浸透しながら紡ぎ出す大きな物語。それは唄が意味の重圧から逃れ、映画がストーリーの軛から解放されて始まる流離譚。「何処に行くのだろう」。逃亡を唆した当の工作者たちもただ立ち竦むだけだ。

未生音。ぼくたちが唄をそして音楽を探す旅の途中に出会したこの奇妙な物語に奇怪な名前を与えた。

渡辺勝 vocal/guitar/piano
川下直広 tenor & soprano saxophone/electric violin
國仲勝男 oud/electric bass
船戸博史 contrabass
城間和広 drums

disc 1.radio emigre
1.冬の朝
2.土埃
3.金魚
4.東京
5.ラヂオのように-instrumental-
6.昼間から夢のようさ
7.ぼくの手のひらの水たまり
8.逢てよかった
9.ぼくの家
10.夜は静か通り静か
disc 2.ghost story
1.立ち止まった夏
2.闇に浮かんだ50の音
3.あなたの船
4.君をウーと呼ぶ
5.ゴースト-instrumental-
6.ラストヴァージン
7.「アムステルダム」によせて
8.Truth
9.チャーリーのバー
10.僕の倖せ
11.夜は静か通り静か

 

未生音。ぼくたちは旅の途中に出会した奇妙な物語に奇怪な名前を与えた。

ずっと求めつづけているもの。それは音楽を全円的に生きること。夢見・敗れ・もっと強く夢見ることを幾度となく繰り返しながら。
ずっと捜しつづけているもの。それはひとつのうた。見果てぬ夢の中間、焦がれる想いのさらなる奥墳に仄見える安らぎ。 怒りと響きに満ち充ちた現身に、たとえささやかでも遍在する宇宙の法則を五感に映し得たなら。そして末期に自らの眼で自然界をありのままに眺め、口ずさめる唄がひとつあったら。人はどんなにか幸福だろう。ぼくたちは、それを追い求め探しつづけて音楽の旅に棲んでいる。
楽旅。乞われるままに重い楽器と荷物を運び見知らぬ土地に訪ねる。そして音楽を求めてやって来た男や女に一夜限りの演奏を供する。演奏は終わり、やがて酒宴となる。ざわめきのなかで笑い、やがて夜は更けてゆく。そして翌朝にはまた旅立つ。その繰り返しのことだ
そう、すべてが一夜限りの出来事、それは夜の祝祭。歌い手・音楽家はその司祭である。宵闇の奥墳にある夜の芯に灯りを点す。大気のなかに潜んでいた死者たちのエーテルが静かだが部屋中いっぱいに溢れかえる。やがて厳かに語られる祝福の詞。それが音楽である。やがて人々の貌に至福の表情が浮かぶ−それが祝祭においてのみ身につけたペルソナであったとしても−。疲れた男を癒し、哀しみにくれる女を優しく慰める力が音楽にはある。カタルシス、エクスタシー、あるいは法悦!
その効能を何と言おうが、じっさい、音楽は神聖な霊性に満ちているのだ。至福のうちにやがて音楽は終わる。司祭を努め終えた音楽家たちはまた俗世の垢にまみれたいつもの男にもどる。そこに居合わせた人たちから差し出された酒を飲み干す。四方八方の話を肴にさらに煽る。ざわめきと笑いのなかで確実に酔いは廻る。こともあろうに、近くに座った土地の女を盛んに口説いたり、それは叶わぬと覚ったら自らの衣服を脱ぎ捨て裸踊りに打ち興じたり…。この世に存在するありったけの乱痴気騒ぎを試みようとする。音楽をしていた彼はこの彼ではなかったのでは?と疑われるほどの変貌ぶり。どちらもこの彼なのだが。人生の深淵を切々と語っていたバラッドから一転、底抜けに陽気なラグタイムへ。いつも楽旅はそんな聖と俗のドラマに満ち溢れている。そして唄はそんな旅の“ある一夜”に宿り、旅のなかでしっかりとそして確実に育まれる。
夜を重ねること。過去にぼくたちは幾夜、これほどまでに濃密な時間を共有し得ただろう。たった二夜の音楽がぼくたちの裡に残したもの。それは一体何だったのだろう。
この夜は一風変わっていた。単に音楽のみを演奏するのではなく、そこに大きく映像が介在していたからだ。夜の工作が如何なる意図の元に行われようとしたのか。ここに当夜の案内がある。その惹句を書き留めておこう。
「北の町」を舞台にした一片のフィルムが南島の夜の帳に映し出される。
音楽を伴って−−。

レーベル

note off note

off note