説明
70年代初頭、フリージャズ界の新星として注目を集めていた近藤等則と土取利行の双頭に梅津和時が加わった1974年の青山VAN99ホールにおける貴重なライブ音源が発見されCD化が実現!!
1970年から京都で演奏活動を共にしていた近藤等則と土取利行は、72年に上京し、当時阿部薫、坂田明、高木元輝などの演奏会場ともなっていた新宿のピットイン・ティールームでの演奏を行っていた。(この時期の近藤・土取の熱きデュオ演奏は、同立光学舎レーベルRG-18でリリースされた)
やがて二人の演奏にサックスの梅津和時やベースの徳弘崇が加わり演奏が続けられたが、梅津はこのCDで演奏が紹介された1974年に一人ニューヨークに発った。そして1975年には間章との邂逅で近藤、土取、高木元輝の三人を基本としたEEUが結成される。しかし、土取もこの1975年のファーストコンサート後、ニューヨークへと旅立ち、近藤もその三年後にニューヨークへと旅立つ。1980年までは間章のプロデユースにより土取が知己を得たミルフォード・グレイヴスとのコンサートや間章招聘のデレク・ベイリーの日本でのコンサートに参加するも、その後、近藤と土取の音楽はそれぞれ独自の方向へと向かっていき、帰国した梅津も「生活向上委員会」などの独自のグループ活動を展開していった。このCDは三人の音楽の原点ともいえる激流時代の熱き即興演奏を伝えるものである。
■演奏
近藤等則(トランペット)
梅津和時(アルトサックス)
土取利行(ドラム)
■1974年5月15日 東京青山VAN99 ホール ライヴレコーディング
■収録曲
1. インプロヴィゼーション 1 12.49(テーマ作曲、土取利行「テイラーさんの左手」)
2. インプロヴィゼーション 2 28.04(テーマ作曲、土取利行「零雨の水紋」)
3. インプロヴィゼーション 3 24.18(テーマ作曲、近藤等則「ギック・シャック」)
【近藤等則】
1948年12月15日生まれ、愛媛県今治市出身のジャズ・トランぺッター/プロデューサー。78年からは米・ニューヨークでジョン・ゾーンやビル・ラズウェルらと活動。帰国後の82年に東京でIMAレーベルを設立し、84年に結成した近藤等則&IMAで人気を博す。93年には蘭・アムステルダムへ拠点を移し、「地球を吹く」プロジェクトに取り組む。2012年から再び拠点を日本に移し、広島・厳島神社で世界平和をテーマにした音楽祭や、奈良・東大寺で震災犠牲者を追悼するなど多彩な演奏活動を展開。2020年10月17日に死去。71歳没。
【梅津和時】
1949年宮城県仙台市出身。1970年代にNYのロフトシーンで活躍、帰国後「生活向上委員会大管弦楽団」でブレイク。「D.U.B.(ドクトル梅津バンド)」でヨーロッパでの人気を得、それと並行しRCサクセション、忌野清志郎のサポートとしてロックの世界にも足を踏み入れる。又、度々NYで現地ミュージシャン達と演奏。ユダヤのクレズマー音楽にも出会い、日本で初めてのクレズマバンド「ベツニ・ナンモ・クレズマ」を主宰、現在自身のバンド「こまっちゃクレズマ」に繋がる。またジャズロック系の「KIKI BAND」としても国内、海外で演奏活動を続けている。ダンス、舞踏、映画等とのコラボレーションも多い。
【土取利行】
1950年、香川県生まれ。1970年代から、ミルフォード・グレイブス、スティーブ・レイシー、デレク・ベイリーといったフリージャズの演奏家たちと共演を重ねる。1976年、ピーター・ブルックの劇団との仕事をはじめ、以降、『Ubu』『鳥の会議』『マハーバーラタ』『テンペスト』『ハムレットの悲劇』『驚愕の谷』などの音楽を手掛ける。世界中で民族音楽を学び、1980年代に桃山晴衣と岐阜の郡上八幡に拠点「立光学舎」を創立、日本の伝統文化再生にも取り組む。10年以上に渡り、日本音楽の古層を調査し、その成果を『銅鐸』『磬石(サヌカイト)』『縄文鼓』などのCDアルバムとしてリリース。最近では、フランスの洞窟壁画の音楽調査と演奏を行っている他、近代の流行歌の元祖、添田唖蝉坊演歌の研究・継承者としても活躍。